【60日目】中高時代の教科書を使いなおしながら思ったこと
今日の昼ごはん。
朝は食パンと母からもらった粒あんつけて食べてました。うまい。
学校がなかったので家にいましたが、今日は中高時代の教科書を読んでました。スリランカに来てから今更ではありますが、歴史をちゃんと勉強せねばと思ったので……むしろ今始めないと……
世界史A,Bと倫理、公民、あと詳説日本史研究っていうちょっと厚いやつ。
(訂正 諸説→詳説)
本屋で探そうにも歴史書は種類が多すぎて、あとトンデモな題名の怪しい奴とかあるから手は出せないと思ってたので、どうせ情報が多すぎても無理だし、今の私には教科書がちょうど良い。
いきなりガッツリやるのも到底向いてないと思ったので、気になるものから手を付けて、だんだん他の時代に繋げていく感じです。
最初に今起こっている香港のデモについてをネットで確かっぽい出処からのを読んで、ちょっと分かってから教科書で遡り、諸々前後の歴史を読んでみる。
アヘン戦争とか、イギリス植民地とか特別行政区とか一国二制度とか……
「げぇー、全然真面目にやってなかった」と思いつつ以前より覚えやすく感じるので、多分今やってると良いことの一つ。
スリランカのイギリス植民地時代も思えば、絶対どっかで関わりが出てくるはず。
そっからアヘン戦争見て、東インド会社(インドの会社だと思ってた……)について見て……年数見て全部最近の話じゃん、ってなったり。
教科書見ててもこれまで、「この世界の歴史」と思ったりも感じたりもしてませんでした。学び直しだけど、初めて学んでる気分……
でも今改めて見てみると、ちょっと果てしないな、と思います。
私は宇宙関係の果てしない数字の話がどうにも苦手なんですが、歴史もそれに近いものを感じます。
でも私的には宇宙より身近に感じられて、歴史をちゃんと見てみると「今」が感じられるのが面白いです。歴史を知ることは今を生きることにめちゃ大事。
だから香港のデモについて調べてるとき、あの方達はもっとその意識が強いのだろうかとも思いました。何もせずにいると成ってしまう歴史を止める・避けるために行動して。歴史は全部そこで生きていた人々が作ってきたもので、だから今も今生きてる人の行動が、そのまま歴史に成っていくんだなと。
特に公民の教科書は最近のことばかりになるので、開いていると余計に変な気持ちになる。最近の政策とか政治家の名前とか載ってるし……あと2000年以降の数字は私も産まれてる訳で、経験してるかはともかく生きてるのはこの時代なんだなあと変ですが改めて思ってしまいます。私も2019年の日本の人口の数字の1を担ってる……投票ももう一票だし。
というか、私は最近まで過去と未来の真ん中らへんに生きているつもりでした。明日の予定とか来年の予定とか、その中にもう生きてるつもりで。でもそうではなく、今が最先端で。今すすむ1秒1秒が誰も体験したことのない新しい1秒1秒だと最近初めて気づきました。
だから余計に、何かの事故で亡くなったとか、そういう話を聞くとそれがバツンと絶たれたのが前よりずっと怖くなります。
あとは最先端技術って本当に最先端じゃん……みたいなことを考えてました笑
SF映画に慣れ親しんだせいか、今がそれらのようになる途中であるとしか思ってませんでした。
スリランカに帰って来る前に母にうだうだとこういう話をしてました。そういうのを否定せずに一緒に考えてくれたり教えてくれたりするので私は嬉しい。
またスリランカのテロですが、私は恥ずかしながら ふとスリランカのwikiを見たときに、そこに2019年のテロが記述されたのを見て初めて、テロが起こったことを実感しました。
以前は10年間なにも起こっていない、というようなことが書かれていたのに、と初めてぞくっとしました。
歴史が変わっていく、と思いつつも、変わったんじゃなくて、これまでの時間からそういう結果になったものなのだとも。
私たちは時間を秒分時日週月年と分けますが、それはただ私たちが区切っているだけで、本当は全部全部連続している時間だと思うと、急に太古の人間までも隣人のように思えます。
それと同時に、世界史に載っている人物たちの最近を除けば全員死んだんだなと考えずにはいられません。全員燃やされたか埋められたかなんやかんやで、今死んでる。
仏教クラスや仏教徒の友達から聞いてる話に出るカルマ、業の話は正直今は理解できないな(抵抗が強い)と思ってますが、諸行無常の話はパッと話を聞いただけですがそういうことのような何かなんじゃないかと思ってます。
正直自分の考えたこととかをネット上に書くのは非常に怖いし間違ったら恥ずかしいと思っているのですが、一回くらいやってみれば慣れるんじゃないか……
知ってる人知られてる人に読まれるけど、いっそその方が良いのでは……
政治・宗教のタブー感を強く感じずにはいられませんが、こういう何考えてるかの話をするのは実際好きです。
このまま勢いのままに書きますが、スリランカに来た理由の一つに「仏教を学ぶ」があるのですが、以前母と話していてそれは「仏教を学ぶことで、死が怖い気持ちを処理する機能をインストールしたい」気持ちがあると分かりました。
こういうイメージで、今は自分から見た一個しか窓がないけど、仏教の視点からの窓があったら良いなあと。
理解できなくても怖くなくなるか、怖いけど理解できるとか。なんかはあるから、自分じゃない考えみたいなのが欲しいです。先生にも見られている文章だと思うとなんかハラハラしますが、私の気持ちとしてはあってると思います。
おやすみなさい。
Alita見たので大好きなお絵かき